円座抄

忌日俳句

 明日は彼岸の入りです。お中日までにはお墓参りに行かなければと思いつつの朝の散歩です。
芽吹き前の木の枝にジョウビタキが止まっています。近寄ってもなぜか逃げません。

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 ミモザの花が満開です。

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 馬酔木の花も満開です。

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 家に帰って、金盞花の花の霜よけのカバーを外しました。昨年の秋、種を蒔いて育てていましたが、ちょうど供花用の花になります。

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 絹さや豌豆とグリーンピースの霜よけカバーも外しました。去年より早く花がさきましたので、収穫も早くなりそうです。

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 これからはいよいよ草取りが忙しくなります。


 彼岸の句とこの季節の忌日の句を主宰と宇佐美魚目先生の句集から拾いました。

「行く末を思ふをりをり西行忌」 武藤紀子 『百千鳥』
「西行の日を西行の山にをり」 武藤紀子 『百千鳥』
「消息に花の一字や円位の忌」 武藤紀子 『百千鳥』

 「西行が実際に没したのは、忌は旧暦二月十六日(新暦三月三十日)だが、〈願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃〉の歌のとおり望月の二月十五日とする」と歳時記にあります。今年は4月2日とか。「円位の忌」は「西行忌」のこと。西行と読むだけでイメージが広がりますので、西行以外の言葉をどう配するかが難しいと思いますが、そこは主宰、大きく掴んでさらりと述べてあると思います。


「朱鳥忌の廂吐き出すくもの糸」 宇佐美魚目 『秋収冬蔵』
「こらへゐて雨も大粒空海忌」 宇佐美魚目 『天地存問』
「山みちを紅爐へもどる虚子忌かな」 宇佐美魚目 『秋収冬蔵』

 野見山朱鳥の忌日は2月26日です。魚目先生が兄事し、深交を築かれましたが、五十三歳の若さで亡くなられた同志の忌日の句です。「くもの糸」に思いの深さを感じます。
 空海も虚子も魚目先生にとっては特別な存在。だからこそ、これらの忌日の俳句があると思います。忌日の句には、心して向い合わねばと自分を戒める気持になりました。

「山ひとつかはり雪みち彼岸前」 宇佐美魚目 『秋収冬蔵』

 山ひとつという大きな景、そしてその山に続く山への道は雪みち。彼岸の前という季への思い。「前」の特別感が伝わってきます。それにしても流れるような詠みぶり。憧れます。




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# by enza-hoshitsuzuri | 2024-03-16 21:26 | 散歩と季語 | Comments(0)

雛祭のころ

 雛祭のころとなりました。あちらこちらで立派な雛人形を見る機会があります。それぞれの家庭でもきっと華やかに雛人形が飾られていることと思います。
 散歩に出ると道すがらの花壇のチューリップが目に留まりました。まさに春ですね。


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 川の堤防の土手の野の梅が見ごろです。花は少し緑かかつています。野梅なので人の手を借りずに、ウオーキングの人々に春を知らしています。

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少し遠くまで足を伸ばしましたら、川の対岸には牛舎があり、白黒の牛が二頭飼われていました。


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 まだまだ、川の中洲や土手の草は枯れたままですが、きっと地表では下萌えが始まっていると思います。

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 途中の公園には昨日の雨の水溜りが春泥となっていました。


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 靴の跡やら何やら、子供たちの遊んだ跡でしょうか。

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 さて、家に戻ると急に思い立って「おこしもん」を作ることにしました。ちょうど、米粉が運よくありました。

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 私一人でのささやかな「おこしもん」作りなので、この鯛の木型と小さなイルカの木型を使うだけです。家族で作る時は、木型を四、五枚使って作りますが、今日は省略です。熱湯で粉を力いっぱい練って、型に入れ押し込みます。次に型からおこして食紅で少し色を添えます。そして、蒸し器で20分ほど蒸し上げます。ちなみに「おこしもん」とは私の生まれ育った地域での呼び名ですが、たぶん型から起すということから、こう呼ぶのではないかと、作りながらひらめきました。

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 できあがりましたので、仏壇と私の小さなお雛様に供えました。

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「春泥に泣く子は兄か弟か」 武藤紀子 『冬干潟』
「にはたづみひとつ残して雁帰る」 武藤紀子 『冬干潟』
   *にはたづみは漢字表記ですが、漢字が出せませんでした。


「春泥や口をあけたる鳥のこゑ」 宇佐美魚目 『薪水』
「桃の日の起こしものとて熨斗と貝」 宇佐美魚目 『薪水』
 

「遊ぶことばかりかんがへ春の泥」 田中裕明 『櫻姫譚』
「雛の間を覗けば人の寝てをりぬ」 田中裕明 『夜の客人』


 三先生方の春泥の句、それぞれに切り口、捉え方が違い興味深いですが、どの句も背景と春泥という季語とのつき方のバランスが絶妙だと思います。

 魚目先生の「桃の日の起こしものとて熨斗と貝」はまさに私の実家の「おこしもん」のことだと思います。
そういえばあの木型は熨斗の形だったと思いあたりました。松とか梅はよく分かりましたが、熨斗の形だったとは……







# by enza-hoshitsuzuri | 2024-02-27 20:17 | 散歩と季語 | Comments(0)

如月・二月

 はやくも、二月の半ばになりました。陰暦二月の異称は如月、きさらぎと言います。私はこのきさらぎの語感の持つニュアンスやひびきが大好きです。「如月」と聞くだけで光や風がそれまでと変わる感じがします。
 先日、二月・如月の梅の梅見に名古屋城へ立ち寄りました。やはりすでに紅梅、白梅が咲いていました。

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 梅の樹間から櫓が垣間見えます。

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 堂々たる天守閣です。

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 この後、能楽堂へ立ち寄りました。ここの入り口には加藤清正像がありました。

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 花壇の花は春そのもの。

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 二月・如月の光と風をひとときですが、心地良く感じることができました。


「葭白き二月の雨となりにけり」 武藤紀子 『円座』
 二月三日
「薄氷はさくらの色や光悦忌」 武藤紀子 『現代俳句文庫 武藤紀子句集』
 二月二十四日
「桜貝まだつめたくて不器男の忌」 武藤紀子 『現代俳句文庫 武藤紀子句集』

 武藤主宰の句集には二月または如月の季語を使った句は一句でした。「葭白き」とは茎の姿となった枯葭が冬の間、寒風に吹かれ白さを増し閑寂と立つ様が目に浮かびます。「白き」に目を留めたところが秀逸だと思います。雨は二月の雨、一雨ごとに春に近づく雨に葭の芽ぐみも感じられる句だと思います。

「鮒かさね煮る火も二月の墓の母」 宇佐美魚目 『秋収冬蔵』
「ニ月や火のつく鵯のこゑを戸に」 宇佐美魚目 『紅爐抄』
「菱形に沼描きつづけ二月の死」 宇佐美魚目 『草心』
「あきらかに竹刀の袋二月朔」 宇佐美魚目 『薪水』
「ニ月やうしろ姿の能役者」 宇佐美魚目 『薪水』
「きさらぎの針に絹糸母のこゑ」 宇佐美魚目 『秋収冬蔵』
「如月の木の香潮の香こもごもに」 宇佐美魚目 『草心』

 魚目先生には二月・如月の季語の句が多くありました。「墓の母」「こゑを戸に」「二月の死」「二月朔」「うしろ姿」「針に絹糸」「こもごもに」意表を突かれる措辞も、共感できる措辞もありますが、とにかく真実に真剣に取り組めばこそのただならぬ表現だと思います。







# by enza-hoshitsuzuri | 2024-02-12 21:02 | 散歩と季語 | Comments(0)

円座78号

「円座」2024年2月号が届きました。

主宰の十句 懐手

「ここ輪島海猫残る港かな」
「蛸漁の船の出てゐる秋の海」
「秋の海波うちぎはを車ゆく」
「打ち寄せる波音秋の千枚田」
「風間垣装ふ山を後ろにし」
「二十軒だけの集落秋の波」
「湧滝の滝壺に降る落葉かな」
「雲水に出会ひし能登の秋夕べ」
「伊右衛門小路ひなたぼつこの人ひとり」
「朝市の思ひ出父の懐手」

中田 剛氏の五句 色なき風 より一句

「名月や見詰む無数の目をあつめ」

松本邦吉氏の五句 雪の下 より一句

「枯葉みな小豆色なり雪の下」

特別作品 二人の同人による十句より一句

「告白は音にまぎるる滝の裏」  つだ みき

秋の空
「麻酔下のわれを匿(かくま)ふ秋の空」  佐合たけし


百千鳥集散策……巻頭の五句より一句

「たましひのよりそひあひぬきふねきく」  青池栄子

 京都の貴船神社の山奥の芹生の里に母が別荘をもった。庭というか茅葺の家の周りに季節になると貴船菊が繁茂していた。今は妹が手入れしてくれている。母が亡くなった後もこの菊の花を見るといろいろと思い出すことがある。……主宰評

朱夏集散策……巻頭の五句より一句

「冬浅し母が頼りし押し車」  保母花恵  

 …作者のお母様は手押し車を使っておられる。私は何年も杖を使っているが、手押し車の方がらくかしらと思っている。でも階段には使えないし。今回の投句はお母様を詠まれた。………主宰評


さて、連載は今号も多彩です。

「宇佐美魚目ラビリンス」(78)  中田 剛氏

「新・千代倉家の四季」(70)  森川 昭氏

「スイッチエッセイ 故郷はヒマラヤ山麓サランコット」 星野 繭氏

「なつはづき 円座七十七号共鳴句」 なつはづき氏

「特別作品評 〈伊奴神社〉」 白石 勉氏

「特別作品評 〈国宝犬山城界隈〉」 辻まさ野氏  

「芭蕉論ノート㉔)『桃青門弟二十歌仙』とは何か(一)」 松本邦吉氏

「十四の星座⑥ 星野立子〈立子句集〉を読む(7)」 橋本小たか氏

「平成の名句集を読む(52) 竹中宏斉田仁『アナモルフォーズ』」 関 悦史氏

「俳句遊行 (6)」 中西亮太氏

「ニュージーランド便りパート2(55)」 藤田麻依子氏



 昨年の11月3日、輪島市での「市民俳句大会」が開催されました。主宰は選句と講演をされました。

今号の主宰の十句「懐手」は、その際の輪島吟行にて句作された句です。輪島には「円座」の同人がお二人おられますので、そのご縁での選句と講演だったと思います。

 今年の1月1日に起こった「能登半島地震」には、主宰始め私達、円座の会員は息を詰める思いで、テレビや新聞の情報を見聞し、句会のたびに心配し合っていましたが、ご無事を祈る他どうすることもできないでいました。やがて、ご無事であろうということが分かり、ほっとしているところです。まだまだいくつもの困難を抱えていらっしゃることと思います。どうぞ、一つ一つ困難を克服し、一歩一歩前へ進まれることを祈念しております。

 今号にはお見舞いの言葉を載せることができませんでしたが、次号に主宰のお見舞いの言葉を載せることができると思います。


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# by enza-hoshitsuzuri | 2024-01-30 11:02 | 円座俳句会について | Comments(0)

熱田の杜

 一月一日、午前七時ころの初日の出を近所の高台から拝みました。そこはいつもの散歩コースですが、ここは初日の出のスポットになっていて、数十名の方々と初日の出を待って拝みました。

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 この美しい初日の出をを見た日の午後、輪島半島地震が起ころうとは誰にも思いもよらぬことでした。

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 一月十四日の午前八時ころ、散歩の途中で雪嶺の御嶽山がくっきりと見えました。毎年寒中の良く晴れた朝は美しい雪嶺の姿を見せてくれます。遥か彼方のお山なのにありがたいことです。
 

 一月十八日は、今年、初めて熱田神宮の森を歩きました。今は喪中のため参拝することは控えましたが、近くへ行ったので立ち寄りました。例年のことですが立派な菰巻がしてありました。

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 いったい何の木だったのか思い出せませんでしたが、寒さ対策なので、寒さに弱い木だとは思います。

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 今年は1月1日に起きた能登半島地震に心を痛めつつ、円座のお仲間の輪島の方々のご無事を祈りつつ、日々過ごしていました。大姉の喪に服するなか、さらなる無情を感じていました。最近になって輪島の方々のご存命が分かりほっとしましたが、ニュースなどで知る限り、まだまだ大変な状況下におられることと思います。

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参道に掲げられた十二支の看板です。

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 ご神木の大楠の木の、しめ縄飾りも新しくて厳かです。例年の初吟行会は熱田神宮で行われましたので、もしおこなわれていたならば、きっとこの大楠が詠まれたことと思います。
   
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 白装束の神官が二人、信長塀の間から何かを運びだしています。信長塀のあたりの藪から笹鳴が聞こえてきました。


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 白梅がほつほつと開きかけています。

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 四季桜は今が満開です。淡い桜いろがまるで雪洞のようです。

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「麓まで朝日のあたる雪の山」 武藤紀子 『冬干潟』
「いつも山はあり風花舞ふときも」 武藤紀子 『冬干潟』
「薄墨の寂しさ冬の水にあり」 武藤紀子 『冬干潟』

 どっしりと構えて動かない山の姿に私達はどれだけ励まされ慰められていることでしょう。「麓まで朝日のあたる」
によって、麓に暮らす人々へ陽光が届き、その晴れやかな雪の山を畏敬の念をもって見あげる作者の気持ちが伝わります。「いつも山はあり」の感慨もいいですね。
「薄墨の寂しさ」の薄墨とは「薄墨色」「薄墨紙」「薄墨衣」「薄墨桜」のどれになるのでしょうか。私は「薄墨衣」と思いたい……「冬の水」が呼応し合っていると思います。


「藪巻や仏典はるかにしよりす」 宇佐美魚目 『薪水』
「雪の中日暮顔して古ざくら」 宇佐美魚目 『秋収冬蔵』
「ひらひらと人に降る雪初大師」 宇佐美魚目 『松下童子』

 「藪巻」は「菰巻」とも言って雪害を避けるものです。その「藪巻」と遥か西方より伝来した「仏典」との取り合わせ、なかなか生まれ出ない発想と言葉だと思いますが、不思議と納得することができました。
 「日暮顔」魚目先生の造語だと思いますが、簡単には思いつかない見立てだと思います。「古ざくら」は桜の古木だと思いますが、なかなかこうは言えません。

 繙けば学ぶことばかりです。








# by enza-hoshitsuzuri | 2024-01-19 19:16 | 散歩と季語 | Comments(0)

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